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下落合のグリーンベルトを鳥瞰してみる

 

下落合の丘陵一帯(目白崖線)は、その昔、泉がそこここで湧き出る武蔵野の急峻な斜面を形成していました。先に慶應大学の石川幹子教授が、「国分寺の殿ヶ谷公園に匹敵する都内でも貴重な武蔵野原生林」とおっしゃってましたが、小金井〜国分寺一帯の急峻な斜面(国分寺崖線)<ハケ>と呼ばれるのに対し、下落合ではこの斜面のことを<バッケ>と呼んでいました。

※関東から東北にかけての方言で「湧水のある急な斜面」の意。

現在の中落合4丁目/中井2丁目(旧・下落合4丁目)、目白学園や御霊神社の手前あたり一帯には、1960年代まで<バッケが原>という呼称が残っていたようです。大正期に開発された目白文化村の子供たちは、武蔵野原生の雑木林が繁る<バッケが原>で、夕方遅くまで遊んでは叱られたといいます。

 

では、下落合の<バッケ>の現状、「トラスト基金」サイトでは“グリーンベルト”あるいは“緑地帯”と表現している武蔵野原生林の現状を、改めて詳しくご紹介したいと思います。1945(昭和20)413日の空襲からもかろうじて焼け残り、いまでもその美しい姿を保っている緑地帯を鳥瞰してみましょう。下の空中写真は、B-29から撮影された終戦直後の下落合の<バッケ>の様子です。

 

 

@下落合2丁目の尾根筋から、おとめ山(御留山/御禁止山)をのぞんだところです。江戸幕府初期からの将軍家鷹狩り場のひとつで、享保年間に八代将軍吉宗がよく利用しました。うっそうとした森の中で、現在でもさまざまな動植物が棲息しています。

 

Aおとめ山公園の南にある、藤稲荷社(藤森稲荷)です。江戸期には、このあたり全体の森が境内だったようです。藤の大木があったので、社名の由来になったといういわれが社伝に残されています。

終戦直後の空中写真にも見えますが、空襲による類焼で社殿を焼失し、現在では元の場所からやや北に移動して、おとめ山公園の森に接しています。境内のうっそうとした様子は、江戸時代とあまり変っていないでしょう。

 

 

Bおとめ山公園内の池です。江戸期、下落合一帯は涼を求める町場の人々の蛍狩りでにぎわいました。いまでも、おとめ山では湧水を利用して“落合蛍”が育てられています。

この池には、クロスジギンヤンマをはじめ数多くのトンボが棲息しています。また、近くの落合第四小学校の教室には、授業中にオニヤンマが飛び込んできたりします。

 

 

Cおとめ山公園内の、湧水の流れ。『落合新聞』の竹田助雄氏が、昭和30年代に「落合秘境」と名づけた様子は、現在でもあまり変っていません。

戦前までは相馬子爵邸の庭園、戦後は東邦生命の所有地だった区画ですが、住民たちや新宿区民の運動により新宿区が買い上げ、「おとめ山公園」として丸ごと保存されました。

 

 

Dこのあたりは宅地化が進みましたが、住んでいらっしゃる方々が緑を大切にされているせいか、武蔵野原生の大木が数多く残っています。

この坂道をくだりきった道が、鎌倉時代から存在する雑司ヶ谷古道です。下落合の山麓のこの道を右へ進むと、庚申塔および氷川明神社があります。

 

E北側の門から眺めた、E邸のある森です。冬期の撮影ですので落葉し、空が透けて見えますが、もうすぐうっそうとした葉の繁る森にもどります。…いえ、参加者のみなさんの力、そして新宿区とも力を合わせて、若葉を繁らせましょう。

 

FE邸の森です。樹齢200年の、クスノキの裏側から撮影しています。この角度から眺めますと、都心新宿でありながら奇跡的に残った稀少な森の美しさと、かけがえのない価値がよくわかると思います。

この森を、猛禽類のツミをはじめさまざまな野鳥が飛来し、獣道にはタヌキが往来しています。

 

GE邸の2階から、新宿方面を眺めた風景。新宿西口の高層ビルがすぐそこに見えます。高層ビルが林立する、21世紀の東京の中心地である新宿、そしてもうひとつ、武蔵野原生林がそのまま残る緑ゆたかな、そして緑を大切にする新宿、このふたつの“顔”を持った新宿の街にしていきたいと考えます。

 

H緑の木もれ陽が美しい、E邸の午後。旧・前田子爵邸を移築したという伝承が残る、大正期(一説には部材は明治期)の建物もそのまま残し、新宿区はもちろん、全東京都民の憩いの場として活用していきたい…というのが、わたしたち「トラスト基金」の願いです。

 

I野鳥の森公園の池。ときどきカルガモやシラサギが渡ってくる池です。野鳥の種類だけで、10種以上が観察されています。また、食物連鎖の貴重な自然が残されており、タヌキをはじめ、シマヘビ・ヤマカガシ・アオダイショウなどが近くに棲息しています。

 

J野鳥の森の界隈も宅地化されていますが、緑がかなり濃く残っています。やはり樹齢200年は超えると思われる、ケヤキ林の眺めは壮大です。

このご近所では、夜中にカモが鳴きながら道を歩いていることもあるそうです。春には、野鳥の森公園の池でかえったカエルが歩きまわります。

 

K下落合の原風景といった風情です。1970年代には、まだそこいらじゅうで、このような風景が見られました。左側の邸宅は、上の空中写真にも写っていますので戦災にも焼け残った、大正末〜昭和初期のお宅です。

E邸のような大正期の、あるいは昭和初期のこのような武蔵野の面影を残す東京風景を、ぜひ保存していきたいと考えます。

 

L新目白通り(十三間通り)から見た、野鳥の森公園とE邸の森。右端に見えているのが、E邸の巨大クスノキです。とても都心の風景とは思えませんが、新宿区で唯一残る武蔵野の原生林です。もし、E邸にマンションが建設されますと、右側の森の部分がごそっりとなくなり、下落合の原生グリーンベルトが途中で大きく寸断されることになってしまいます。

 

M薬王院の森です。Lの写真ではフレームアウトしていますが、写真のすぐ左側につづいている森です。E邸の森→野鳥の森公園→薬王院の森と、途切れのないグリーンベルトが数百メートルにわたって連続しています。

N上は、宅地開発される前の、1964年(昭和39)ごろの瑠璃山です。残念ながら宅地化が進み、現在ではこの森は失われて残っていません。

左のモノクロ写真中央部の森から、1966年(昭和41)に「下落合横穴古墳群」が発見されました。現在は、瑠璃山山麓にある弁財天の境内に、写真右の記念プレートが残されています。また、七曲坂に隣接する一帯は、埋蔵文化財包蔵地の「遺跡No.4」に指定されるなど、E邸はもちろん下落合のバッケ全域には、未発掘の多彩な埋蔵文化財が包含されている可能性があります。

O西武線下落合駅の方角から、下落合の丘陵一帯(目白崖線)を眺望しています。文字どおり、グリーンベルトと呼ぶにふさわしい、武蔵野原生林の緑が連続しているのがよくわかります。E邸にマンションが建設されてしまいますと、この緑地帯の中央部が損なわれることになり、先人たちが大切に守り抜いてきた「落合秘境」は大きなダメージを受けます。また、その下に生息する新宿のタヌキやツミといった多種多彩な動物たちも、はかり知れない影響を受けることになります。

地元住民のみなさんはもちろん、新宿区のみなさんや自治体とも力を合わせ、いまや東京都でも貴重な自然となった下落合の森を残し、都民の憩いの場として後世に残していきたい・・・、「下落合みどりトラスト基金」ではそう考えています。

 

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