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前田子爵邸を移築した服部建築土木請負

 

 “たぬきの森”に2005(平成17)4月まで建っていた旧E邸が、旧前田子爵邸の移築建築であることが判明しましたが、その仕事をした服部建設土木請負い事務所について、当時を知るI様およびM様への取材からかなり詳しいことがわかりましたのでレポートします。戦前、旧前田子爵邸の広大な移築建物に、自宅兼事務所をかまえていたのが、服部政吉その人です。

 

 愛知県の三河出身だった服部政吉は、おそらく明治時代に東京へ出て、建築土木に関わる仕事の基盤を築いています。もともと三河の地元でも有力者だったらしく、東京へ出てくる同郷出身者の面倒をみたり、自宅の周囲へ家を建てて住まわせたり、また当時は東京下町の風物詩だった“三河漫才”の一行も、まずは仕事始めに下落合の服部邸へ立ち寄るなど、郷里でもその名が広く知られていたようです。

 上掲の記念写真は、服部政吉の自宅兼事務所=旧E邸の正面玄関で、1940(昭和15)2月・旧正月に撮影された、新宿中村屋の「新築落慶記念」時のものです。新宿中村屋の相馬夫妻から建築の依頼をされているところをみますと、服部政吉は下落合界隈ばかりでなく、東京でもその仕事が広く知られていたものと思われます。

 

 

 下落合における服部事務所の仕事は、現在わかっているだけでも“たぬきの森”に建っていた旧前田子爵邸をはじめ、敷地に隣接するK邸、目白の戸田子爵邸(現徳川黎明会)の一部移築であるA邸、1929(昭和4)ごろまで建っていたと思われる九条武子邸、その南隣りにあった文展の彫刻家・夏目貞良アトリエなど多数Click!におよぶようです。

 

 服部事務所は新築も手がけましたが、破却するにはもったいない既存の高級邸宅の移築を得意としていたようで、すでに下落合から消えてしまった九条邸や夏目邸、あるいはその他の建物も、当時の豪華で有名だった建物の移築(部材移築含む)だった可能性が高いように思われます。

 

新宿中村屋の本店は、1940(昭和15)に新築あるいは改築をしていないので、同年に落成した中村屋会館のことだと思われます。同館は、多くの資料では1940(昭和15)10月に完成となっていますが、2月に完成し10月から調度をそろえた運用が始まったのではないでしょうか?

地図は、左が1926(大正15)の「下落合事情明細図」、右が1938(昭和13)の「火保図」。

 

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