トップページ

屋敷森の埋蔵文化財試掘調査レポート

 

 屋敷森の埋蔵文化財試掘調査は、831日から92日にかけ、3日間にわたって行われました。試掘調査に当たっては、新宿区教育委員会が調査指導を行っています。そして、912()に大成エンジニアリング()埋蔵文化財調査部の正式な報告書が、各方面へ提出されました。

「東京都下落合4丁目768-3775-20試掘調査/埋蔵文化財試掘調査業務報告書」(平成179)

 

■試掘調査の概要

 試掘調査は、元屋敷が建っていた跡および庭園を中心に7箇所にわたって行われ、そのうちの1箇所から、縄文式土器片数点が出土しました。下の図に記載されたTP(Test Pit=試掘坑)-6のエリアで、ちょうど屋敷の真下に当たる地点です。眼下に川が流れ(縄文海進時には入り江)、南斜面のこの土地は、やはり当時から人が暮らしやすい環境だったと思われます。

 このTP-6についての調査結果を、報告書からそのまま引用してみましょう。

 (前略)コンクリート基礎上面より−40cmでソフトローム層を確認した。黒色土層は削平されており、残存せず、TP中央部は建物基礎による破壊を受けている。TP内ではほぼ全面において耕作畝、もしくは木根の腐食痕かと思われる溝状の遺構が不規則方向に巡る。この中からは縄文土器3点・焼けた礫1点が出土した。

 本坑内では、南西側において深掘を行った。コンクリート基礎部分に沿って掘削した為に、1層としたソフトローム層は撹乱により堆積状況が悪い。しかし2層以下、つまり立川ローム層におけるW層以下の堆積状況は非常に安定している。

 いつの時代かははっきりしませんが、耕作痕と見られる遺構がまず発見され、その中から土器片類が出てきたことがわかります。三内丸山遺跡の発見以降、弥生期ではなく縄文期の農耕跡が発見されるのも稀ではありませんので、この遺構がその当時のものか、あるいはもっと新しい時代のものかは報告書からは不明ですが、その中に縄文期の土器片が混じっていたことになります。

 また、報告書では「縄文土器3点」と書かれていますが、下の出土写真でもわかりますように、そのうちのひとつは、上ぐすりを塗ったような光沢が見えますので、もっと時代が下った焼き物片ではないかと思われます。

■試掘坑(TP)-6の地質状況

■土器片などの出土状況

 

縄文土器No.1()と土器No.2No.2は時代が下るものとみられます。

 

縄文土器No.3()と、No.1およびNo.2の発掘状況。

■試掘調査の結果

 試掘調査報告書では、調査のまとめを以下のように記しています。

 出土遺物は縄文土器3片・焼石1個に留まり、当時期とされる遺構は確認されなかった。

 当初、黒色土の残存は良好であり遺構の検出が期待されたが、調査の結果、全てのTPにおいて黒色土層からローム層にかけて削平されていることが観察された。確認面としたローム層も埋設管敷設(ガス・上下水道管等)や建物基礎工事により、掘削されている。

 これらのことから、建物基礎区画内に設定したTP56の調査からも裏付けられるように旧御屋敷を建築する際、ないしはそれ以前において敷地全面で造成工事といった手が加えられていた事が理解できる。

 各TPの土層堆積状況から、当地の地形をみるにTP47に見られたように東側と南側に緩やかに下傾斜していく地形であることが想定できる。

 TP-6の試掘坑では、縄文式土器片が2点ほど確認されましたが、住居などの遺構は発見できなかったということです。しかし、偶然かどうか、TP-67箇所の試掘坑の中で唯一、重機により地層確認のため深く掘られた箇所であり、もう少し丹念に敷地の地層を調べれば、なにかが見つかる可能性があるのではないか・・・と思うと残念です。

 

Copyright © 2005 Shimoochiai Midori Trust. All rights reserved.