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野鳥の森公園全体が遺跡指定に

 

最新の「新宿区遺跡分布図」(2005年版)を見ると、瑠璃山山麓の「下落合横穴古墳群」(遺跡No.6)ばかりでなく、薬王院の森から野鳥の森公園全体が「周知の埋蔵文化財包蔵地」に指定されているのがわかりました。従来は、下落合横花古墳群が発見された下落合4丁目3番地周辺とされていたのですが、遺跡No.6のエリアとは別に、いつのまにか野鳥の森公園まで範囲が拡大されたことになります。きっと公園を造成中に、なにか出土物があったものと思われますが、正式な発掘調査を経ていないため、報告書もなく不明です。

 

周辺の状況から想像しますと、縄文時代から奈良時代にかけての、なんらかの埋蔵物が確認された可能性があります。これは、かなり重要な意味をもってきます。旧・遠藤邸の屋敷森は、この野鳥の森公園の遺跡指定地に直接隣接していることになるからです。つまり、同じ連続した斜面で、公園の車両通行禁止に指定された細い道を1本隔てているだけですので、埋蔵文化財包蔵地の可能性がきわめて高い・・・ということになります。

 

下の写真は、1964(昭和39)に撮影された、屋敷森とその周辺の空中写真です。そして、その下の地図が、最新版の「新宿区遺跡分布図」(20054月現在)に描かれた同所の様子です。赤いエリアが、遺跡または埋蔵文化財包蔵地の指定地となっています。

下記に掲載した写真は、石器時代から平安時代までの住居跡など埋蔵物が発見された、落合遺跡より出土した石器および縄文式土器です。縄文〜弥生期を通じて、目白学園周辺には大規模な集落が形成されていたことがわかっています。(『落合遺跡展』図録/新宿区より) このような石器や土器が、屋敷森にも包蔵されているかもしれません。

 

   

また、下の写真は、野鳥の森公園近くの下落合横穴古墳群(遺跡No.6)から出土した、鉄刀のスケッチと横穴墓の様子です。ここからは、貝の化石も多数出土しており、太古の昔から縄文期ぐらいまで、目白崖線の下は海の入り江だたことが確認されています。

 

現在、屋敷森の敷地では業者による地質のボーリング調査と、新宿区による埋蔵文化財の試掘調査が行われています。「下落合みどりトラスト基金」では、改めてその様子をこちらでご報告するとともに、地下に眠るかもしれない貴重な埋蔵文化財を破壊しないためにも、長屋式の大規模な集合住宅建設に反対し、1日も早く公園化が実現できるよう新宿区へ働きかけてまいります。みなさまのご協力を、心よりお願い申し上げます。

 

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