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戸山公園にもいたたぬきの親子

 

「下落合みどりトラスト基金」の署名活動を、新宿区の戸山地区でお願いしている方から、「箱根山」でたぬきの親子を見た・・・という情報が寄せられました。「箱根山」とは早稲田大学文学部の南西隣り一帯、江戸時代に尾張徳川家の「戸山荘」と呼ばれた下屋敷があったところで、屋敷内には箱根を遠望する小田原城下を模した、大規模な回遊式の庭園が築造されていました。

 

築かれた「箱根山」は、山手線の内側では標高がもっとも高い山(44.6m)となっており、現在は東京都の都立戸山公園となっています。江戸期に、尾張徳川家の別邸が建造される前から、広大な武蔵野の森となんらかの聖域を象徴する祠があったことが古文書に見え、北東から南西へと連なるバッケからは数多くの湧水の小流れがあって、下落合と同様、たぬきの生息には最適な環境のようです。

 

(左は戸山公園内、右は箱根山山頂へと向かう山道)

この戸山公園内で、近くの住民の方がたぬきの親子を目撃されました。ちょうど、下落合の子だぬきと同じころに産まれたのでしょう。戸山公園は、リードなしで犬を散歩させることができる公園ですが、犬に追いかけられているたぬきの親子が、周辺の方々から何度か目撃されているようです。どうやら、猫には強気で出られるたぬきでも、犬には弱いようです。

 

戸山公園は明治期から1945(昭和20)まで、陸軍学校や練兵場、射撃場、陸軍病院などがあったところで、戦時中は米軍による徹底的な爆撃を受けた地帯です。箱根山とその周辺のほとんどの森は、B29の爆撃により消滅してしましたが、早い時期から都立公園に指定され保存されてきましたので、現在ではすっかり元のようにみどりが回復しています。だからこそ、おそらく空襲からも生き残ったたぬきたちの子孫が、いまでも繁栄しつづけているのではないかと思います。

 

(左は空襲後のB29から撮影した箱根山周辺、右は2000年の同所)

下落合の旧・遠藤邸の屋敷森周辺には、最近、サイトでご紹介しているたぬきとは別の一家が姿を見せています。専門家のご意見ですと、これほど近くに別の一家が近接して暮らしているのは珍しいとのこと。屋敷森が戸山公園の箱根山地区と同様に保存され、たぬきたちがこれからも繁栄していけるようなみどりの多い新宿区をめざして、「トラスト基金」は活動をつづけてまいります。

 

 

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