Chichiko Papalog 「気になるエトセトラ」オルタネイト・テイク

椿山界隈を散策する

 

  椿山は江戸後期、上総久留里藩(3万石)・黒田豊前守の下屋敷があったところだ。もう少し前の時代、江戸中期には目白坂を上がったちょうどこのあたりに、火盗改めの長谷川平蔵の拝領屋敷があったことが、『寛政武鑑』(須原屋茂兵衛版)に記載されている。明治に入ると、維新に功績のあった人物たちの邸宅が、次々と建てられていった。

  付近の樹林が、大きな敷地の屋敷森や庭園へとそのまま流用されているので、いまだに武蔵野原生林の面影をよくとどめている。椿山とその周辺を散策すると、下落合の旧・林泉園や往年の御留山を髣髴とさせる風情が味わえるのだ。では、椿山とその周辺を巡ってみよう。

 目白通りから、旧・細川邸の新江戸川公園と旧・田中邸の蕉雨園の間の道を南へ入ると、右手には旧・細川邸の永青文庫が垣間見え、すぐに道は胸衝坂(戦後は胸突坂)と呼ばれる急坂にかかる。現在は階段状になった坂を下りると、右手には水神社が、左手には関口芭蕉庵が見えてくる。坂の傾斜角を、できるだけコンクリートで浅くしようと試みているが、この坂を上り下りするだけで、このあたりの目白崖線(バッケ)がいかに急峻かが実感できる。

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  芭蕉庵の中には、湧水池が細長く横たわっているが、そのすぐ北側は断崖絶壁の崖場となっている。庵内を散策するのも、まるで登山道のような崖道を巡ることになる。人が擦れ違えないほどの細い道が、池を眼下に見ながら崖づたいにつづいている。中腹は竹林となっており、大雨などによる土砂の流出留めの役割を果たしているようだ。

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  椿山を関口側から登り始めると、すぐ目の前に谷戸が口を開けているのに気がつく。この谷戸は正面にある椿山荘本館までつづき、建物の真下に湧水源がある。また、この泉とは別に、左手には池があり、現在ではポンプアップされた水が滝状に流れ込んでいるが、隣接する旧・田中邸の敷地内にもひっそりとした湧水池があるので、昔は泉が西側にも多数あったのだろう。

  椿山に登ると、原生林そのままの巨木が多いのに驚く。特に、目白崖線ではおなじみのクスノキやケヤキなどの大木が、あちこちに繁っている。また、江戸期以前の南北朝のころから名前の由来となったツバキも、随所に植えられている。

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  明治以降は、山県有朋が住んだ関係から政治の重要な会議が、この椿山荘で行われた。1918(大正7)に、藤田家が椿山を丸ごと買い取り明治建築の建物をそのまま活用・保存していたが、1945(昭和20)5月の山手空襲で往時の建築物はすべて焼けてしまった。

  現在でも、ホテル「フォーシーズンズ」が建てられた谷戸の東側を除き、椿山の西側は往年の風情をとてもよく残している。

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