佐伯祐三の『下落合風景』描画ポイント(Windows10以上+MicrosoftEdge/1280×1024pic表示に最適化しています)
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1 山手線のガード (下落合3界隈) このガードはひとつしかない。Click! <参考> 佐伯祐三と小島善太郎の画面から湧水流を考える。Click! 下落合を描いた画家たち・小島善太郎。Click! |
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2 瑠璃山・池田邸 (下落合830界隈) 鴟尾か鯱がのる赤屋根の豪邸。Click! <参考> 旧・池田邸をカラー写真で観察する。Click! |
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3 大六天社附近 (下落合657界隈) カラーで観察する『セメントの坪(ヘイ)』。Click! <参考> 鈴木誠の化け物屋敷アトリエを考察する。Click! いつかどこかで、デジャビュ。Click! 佐伯祐三から小島善太郎へ。Click! 諏訪谷の斜面を考える。Click! 自邸前の佐伯作が気に入らない曾宮一念。Click! 諏訪谷に繁った巨木のゆくえ。Click! |
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4 八島さんの前通り・高田邸 (下落合1444界隈) 佐伯が描く「八島さんの前通り」の高田邸。Click! <参考> 寒くて遠出はひかえたものか。Click! 佐伯祐三の「下落合風景」も悩ましい。Click! |
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5 第三文化村の北側 (下落合1455界隈) 下落合の銭湯を洗え。Click! |
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6 不動谷の南西地 (下落合678界隈) 中村彝タッチの下落合風景。Click! <参考> X線の向こうに見える風景は?Click! |
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7 第四文化村の「スキー場」 (下落合1325界隈) 雪だスキーだ、文化村の冬。Click! |
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8 旧・昭和橋 (下落合1816/上落合320界隈) カラーで観る佐伯祐三「上落合の橋の附近」。Click! <参考> 消えてしまった妙正寺川と旧・昭和橋。Click! |
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9 第二文化村のテニスコート (下落合1705界隈) いまさらながら益満邸の「テニス」。Click! <参考> 佐伯祐三の「テニス」を細見する。(上)(中)(下)Click! 再現・益満邸テニスコート前の佐伯祐三。Click! 1966年3月7日の「下落合風景を囲んで」。Click! |
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10 二ノ坂上から望む新宿東口 (下落合1980界隈) 「遠望の岡?」は二ノ坂だった。Click! <参考> 佐伯の下塗りはいつもホワイト?Click! |
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11 中井駅の東側 (下落合1910界隈) 「下落合風景」佐伯祐三の視線。Click! |
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12 妙正寺川の土手 (下落合2157界隈) 当時も妙正寺川は溢れていたのか。Click! <参考> 第1次滞仏作品をつぶした『下落合風景』。Click! だんだん大きくなる「洗濯物のある風景」。Click! |
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13 第二文化村の西北辺道 (下落合1567界隈) 佐伯祐三は第二文化村周辺がお好き。Click! |
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14・15・16 第三文化村の東端通り (下落合666・1461界隈) 佐伯祐三お気に入りの「八島さん」ち。Click! <参考> 『下落合風景』の納邸が建てられるまで。Click! |
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17 八島邸の門 (下落合666界隈) この『下落合風景』は「八島さん」ちの門。Click! <参考> 「門」の屋根はやっぱり赤かった。Click! |
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18 第一文化村の水道タンク付近 (下落合1360界隈) 佐伯祐三の足取りを追え。Click! |
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19 須藤邸から青柳ヶ原の西ノ谷(不動谷)谷戸を望む (下落合658〜678第三文化村開発地界隈) 佐伯祐三の『目白風景』は下落合風景だ。Click! <参考> 『目白風景』は佐伯のちょっとした勘違い?Click! |
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20 第二文化村の水道タンク (下落合1665界隈) 「タンク」は案外やっかいだった。Click! |
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21・22・23 諏訪谷の南尾根から (下落合739界隈) 佐伯の諏訪谷は急速に宅地化された。Click! <参考> 諏訪谷の斜面を考える。Click! 自邸前の佐伯作が気に入らない曾宮一念。Click! 諏訪谷に繁った巨木のゆくえ。Click! |
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24 草津温泉に向かう中ノ道 (下落合1922界隈) 「草津温泉」は大繁盛していたか?Click! <参考> 大谷石が集積された宅地造成工事現場。Click! |
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25 八島さんの前通りの北端 (下落合666〜1461界隈) これでもか、「八島さん」ちの前通り。Click! <参考> 佐伯祐三は自宅を描いている。Click! |
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26 聖母大学のテニスコートあたり (下落合630界隈) 佐伯祐三「森たさんのトナリ」を拝見する。Click! <参考> 「森田さんのトナリ」に住んでいたのは?Click! 「森たさんのトナリ」と里見勝蔵の転居。Click! 「里見くんのトナリ」の森田さんは誰?Click! 「森たさんのトナリ」の空はやっぱりどんより。
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27 二ノ坂(蘭塔坂)をくだる途中 (下落合1980界隈) 二ノ坂付近での佐伯の足取り。Click! <参考> 二ノ坂から見える茶色いビル。Click! |
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28 下落合西部の葛ヶ谷近く (下落合1551〜1559界隈) 開発中の「渋澤農園分譲地」を歩く佐伯祐三。Click! <参考> 商店が途切れる目白通りはどこ?Click! |
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29 妙正寺川の土手再び (下落合2157界隈) 寒いけど無理して遠出した佐伯祐三。Click! |
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30 「墓のある風景」は薬王院 (下落合811界隈) 佐伯祐三『墓のある風景』を細覧する。Click! <参考> 佐伯が描く卒塔婆だらけの薬王院。Click! |
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31 六天坂から見晴坂間の商店街 (下落合1793界隈) 下落合の郵便ポストを洗え。Click! |
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32 下落合と葛ヶ谷の境界あたり (下落合1680界隈) 「道」の近くに拡がる原っぱ。Click! |
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33 葛ヶ谷の「富永醫院」角 (下落合1674界隈) 佐伯祐三『看板のある道』を拝見する。(上)Click! 佐伯祐三『看板のある道』を拝見する。(下)Click! <参考> 「道」の下に「富永醫院」の看板があった。Click! |
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34 ギル邸に接した東斜面の道 (下落合1756界隈) 懲りずに「くの字のカーブ」の道に挑戦。Click! <参考> この「く」の字カーブには見憶えが・・・。Click! |
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35 第三文化村敷地からの八島邸 (下落合666界隈) また描いてもうた「八島さん」ちや。Click! |
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36 第一文化村北辺の二間道路から (下落合1601界隈) 第一文化村の二間道路から前谷戸を望む。Click! <参考> 特徴だらけなのに不明な「下落合風景」。Click! やっと出てきた第二文化村の遠景。Click! |
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37 文化村からアビラ村への尾根道 (下落合2005界隈) 尾根道を西へとたどる佐伯祐三。Click! |
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38 西武線開通前の寺斉橋附近 (下落合666〜1461界隈) 最後に描かれた「下落合風景」。(上) Click! 最後に描かれた「下落合風景」。(中) Click! 最後に描かれた「下落合風景」。(下) Click! <参考> 中井駅の見えない妙正寺川沿い。Click! |
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39 目白学園北側の畑が残る造成地 (下落合2262界隈) 城北学園(目白学園)近くの夕暮れ。Click! |
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40 第二文化村の北辺 (下落合1665界隈) この『下落合風景』は文化村の中だ。Click! |
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41 第二文化村前の通り (下落合1725界隈) 1年半越しに手こずった『下落合風景』。Click! |
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42 諏訪谷「曾宮さんの前」シリーズ (下落合739界隈) 未知の「下落合風景」を発見。Click! |
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43 場所不明(文化村外れ?) (下落合?界隈) 未知の「下落合風景」を発見。Click! |
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44 六天坂上の中谷邸を南から (下落合1765界隈) またまた未知の「下落合風景」を発見。Click! <参考> 失われた未知の『下落合風景』を再現する。Click! |
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45 第二文化村外れの宇田川邸 (下落合1663・1674界隈) 佐伯祐三『かしの木のある家』と格闘する。Click! <参考> 「かしの木のある家」だと思うが・・・。Click! |
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46 「スキー場」の尾根筋あたり (下落合1315界隈) 行商が通う文化村の「スキー場」。Click! |
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47 第三文化村の東端通り (下落合666・1461界隈) まだ飽きへんし「八島さんの前通り」。Click! |
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48 第一文化村内の一画? (下落合?界隈) 未知の「下落合風景」をまた発見?Click! <参考> 未知の『下落合風景』1927年4月。Click! |
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49 曾宮一念邸の東隣りの浅川邸 (下落合604界隈) 佐伯祐三の「浅川ヘイ」を考える。Click! |
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50 大正中期の「落合遊園地」 (下落合394〜401界隈) 下落合の小さな石橋を探してみよう。Click! |
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51 山手通り工事で消えた斜面住宅地 (下落合1778界隈) 消えてしまった斜面の『下落合風景』。Click! |
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52 佐伯祐三の散歩道 (下落合810界隈) 久七坂筋を描いた佐伯祐三「散歩道」。Click! |
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53 現在の中井駅前宅地造成地 (下落合1922界隈) 大谷石が集積された宅地造成工事現場。Click! <参考> 「草津温泉」は大繁盛していたか?Click! |
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54 佐伯祐三アトリエの北壁面と採光窓 (下落合661番地) 佐伯祐三は自分のアトリエを描いている。Click! |
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55 落合第一小学校の西側校舎 (下落合1292番地) 佐伯は落一小学校の校舎を描いている。Click! |
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56 自宅便所を描く佐伯祐三 (下落合661界隈) 佐伯祐三のアトリエ「便所風景」。Click! |
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57 八島さんの前通り・高田邸(下落合1444界隈) 佐伯が描く「八島さんの前通り」の高田邸。Click! |
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『下落合風景』番外編の描画ポイント
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A 山手線“開かずの踏み切り”
(雑司谷西谷戸大門原1126界隈) 80年前の開かずの踏み切り。Click! <参考> 佐伯祐三の「中原工場」を突きとめた。Click! 佐伯祐三の『踏切』ガードが規定できた。 Click! 佐伯祐三は曙工場を訪ねたか。 Click! 高峰秀子がくぐる「浮雲ガード」。 Click! 佐伯の「中原」看板は人名ではなく地名だ。Click! 佐伯祐三「踏切」の現場を歩く。Click! 佐伯祐三の「踏切」を細見する。Click! |
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もうひとつの佐伯祐三『堂(絵馬堂)』候補。Click! 薬王院の太子堂は茅葺きだったClick! 最勝寺・大師堂を子細に観察する。Click! 最勝寺の大師堂は『堂』なのか?Click! 桜ヶ池不動堂の昔の「堂」写真が見たい。Click! 大磯山王町418番地の佐伯祐三一家。Click! 寺町に「絵馬堂」を訪ねて。Click! 金剛院と長崎氷川社と不動堂。Click! アラハバキ神が奉られている「堂」。Click! 『絵馬堂』探しはまだまだつづく。Click! 上高田の光徳院は巨刹だった。Click! 光徳寺に「絵馬堂」はあったか?Clic |
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B 山手線切通し状の山手線線路 (B雑司谷旭出orB’戸山ヶ原) 山手線と山手貨物線が走る切通しClick! <参考> 佐伯のスケッチは大阪の淀川周辺では?Click! |
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C 一本松を天祖社のある北側から (山手線西側の戸山ヶ原) 佐伯祐三『戸山ヶ原風景』の描画ポイント。Click! |
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★所在地は、佐伯祐三が「下落合風景」を描いた1926〜1927年(大正15〜昭和2)当時の番地表記を基準にしています。
★空中写真の番号は佐伯祐三がイーゼルをすえた側、▲印の先が描かれた「下落合風景」の方向を示しています。
★空中写真は、1936年(昭和11)の陸軍航空隊により撮影されたものです。
★写真には、道路の新設などで消えてしまった道筋や坂道などが含まれています。
※<参考>の記事は、過去に取材・調査した際の1次的な記事あるいは関連記事であり、その後、新たな事実の判明や調査の深化などにより描画ポイントを変更したケースも含まれています。