Chichiko Papalog 「気になるエトセトラ」オルタネイト・テイク |
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人の想いや気配がよどんでいる 人々が数多く参集し、悲喜こもごもの想いが語られ、戦前からさまざまな儀式や宴会が行われつづけた雅叙園の旧館には、人の想いがどんよりと重く沈殿しているかのようだ。誰も訪れなくなったそんな空間に一歩足を踏み入れると、昔日の人々の気配が、どこからかサワサワと衣擦れの音のように聞こえるような気がする。 いまや、手入れはまったくなされなくなり、「アルコタワー」建築時には作業員の宿泊施設に使われたため、透かし彫りや浮き彫りの端々は欠け、タバコのヤニと塵埃とでくすんでしまった室内は、いるのも気恥ずかしくなるような、なんともケバケバしい色彩や装飾性をようやく失いかけ、どこか好ましく、なにやら惹かれる「落ち着いた」風情になっているのが、なんとも皮肉だ。 ▲解体寸前の旧・目黒雅叙園の全貌。 どこか気味(きび)の悪さを感じながら、3号館の「百段階段」を登っていくと、右手に次々と宴会室が現れる。造られた当初は、凝りに凝った贅沢な部屋だったのだろうが、空調管理もなされないまま、柱や天井のそこかしこにひび割れや亀裂が入り、「人が住まなくなった家」と同様に廃墟の雰囲気がただよう。 |
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▲百人階段。階段の右手には、上まで ずっと宴会室が連なる。 |
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まず、最初の階段の踊り場にあるのが「十畝」の間。天井は、荒木十畝の絵画で埋め尽くされ、床柱には1本で家が建つぐらい貴重な一位(いちい)の巨木材が使われている。天井や柱など一面に散らしてあるのは、宝石のような螺鈿と七宝なのだが、いまや光を失いかけて、遠眼には単なる模様にしか見えない。 |
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▲十畝の間。桐板33枚の天井と螺鈿装飾だらけの部屋だ。 |
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次の踊り場には、気の遠くなるような木彫デザインがほどこされた、極彩色「漁樵」の間があった。菊池華水と尾竹竹坡の原画に、森鳳嶺が彫刻をほどこしている。天井も、すべて浮き彫りに透かし彫りと徹底している。床と床脇は、菊池華水の絵画をそのまま・・・。この部屋が完成したときには、まるでおとぎの国に迷いこんでしまったような感覚にとらわれたろうが、いまや不気味な化け物屋敷のようだ。 彫られた人物の絵の具が剥げ、あるいは顔の木片が欠け落ちて、まるでホラー映画のゾンビのようになってしまった。また、タバコのヤニで美人の白粉が灰色となり、まるで仏教の「九相図」のような、死人絵巻に見えるのだ。 ▲漁樵の間。複雑な彫りがほどこされた床柱は、一木造りだ。 次は、磯部草丘にちなんだ「草丘」の間。この部屋も天井、欄間、障子の腰と、すべて磯部草丘の絵画で覆われ、壁面さえ見えない。槐(えんじゅ)の床柱が、豪勢で印象的だ。四方には、四季の風景画が広がる。 ▲草丘の間。全体が風景をモチーフとしており、全体が金と緑色の印象。 「百段階段」を、ちょうど半ばまで登ったところに、「静水」の間と「星光」の間がふた間つづけて造られている。このふたつの部屋が、3号館の中ではもっとも小さく、また地味な室内装飾だろう。地味といっても、あくまでも他の部屋と比較しての相対的な“地味”であって、わたしの眼から見れば、度外れた超派手なことに変わりはないのだが・・・。 まず「静水」の間は、天井に橋本静水の扇図が描かれている。だが、欄間は静水ではなく、長嶋華涯や小山大月、猪巻清明の競作となっている。いま風にいえばコラボレーションということになるのだろうが、贔屓目に見てもなんとも絵のタッチがチグハグで、部屋の落ち着いた意匠や調度にもかかわらず、ソワソワと落ち着かない気分だ。 ▲静水の間。金箔が随所に貼られているのに地味と感じるとは・・・。 「星光」の間は、天井と欄間に板倉星光が描いた四季の草花が散らしてある。わたしが、旧・雅叙園3号館の部屋を予約するとしたら、もうこの部屋しかない。他の部屋は野暮と悪趣味とお化けだらけで、ちょっとごめんだ。檜(ひのき)の板天井に、槙(まき)と北山杉の丸太床柱と、ようやく異次元空間からこの世へともどってきた気がして、ホッとひと息。 ▲星光の間。ようやく落ち着けそうな部屋だ。 |
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旧・3号館(百段階段)に沿って、江戸時代に掘削された「三田上水」が、開渠のままバッケを流れくだっている。 玉川上水から分岐した三田上水の水道は、目黒川へと合流せず、高輪・三田方面へと給水されていた。現在は水が枯れて、単なる庭園内を走る溝となっている。 |
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そして、百段階段の最上段にある部屋が、「清方」の間だ。天井と欄間には、鏑木清方による草花を描きこんだ扇図や、芝居に題材をとった幕絵などが配されている。50代の脂が乗りきった鏑木清方の作品であり、この部屋丸ごと「お宝」・・・とはいえ、旧・3号館でもっとも薄気味悪かったのがこの部屋だ。 江戸情緒ただようはずの芝居絵や美人画が、みな幽霊画のように見えてしまう。照明のせいもあるのだろうが、「ウルトラQ」のようなマーブリング模様の南米材パープルハートを用いた床柱、天袋、地袋、水屋などがおどろおどろしさを助長していた。 ▲清方の間。天井が8つの三角形に区切られて扇図が描かれている。 |
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▲百段階段を「清方」の間横から。 |
大正期から昭和初期にかけては、江戸期からつづく和建築の大工たちの技術が、最高度に達して最後の光芒を放った時期だとみられている。目黒に造られた雅叙園は、そのもっとも高みに位置した、彼らの到達点だったのだろう。 これ以降、雅叙園を超える和建築は、日本でも現在にいたるまで造られていないとさえ言われる。それほど技術の粋を集め、贅を尽くした建物なのだが、いまひとつ気持ちがよくないのは、やはり戦前戦後を通じて、あまりに多くの人々が、ここで強い感情を吐き出しつづけたせいなのだろうか・・・? |
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