Chichiko Papalog 「気になるエトセトラ」オルタネイト・テイク

不思議なふしぎな狸穴町

麻布界隈を散歩していると、ここも坂がやたら多いのに気づく。しかも、なだらかな坂ではなく、ときには断崖をともなう。坂の傾斜がきつい・・・などというレベルではなく、坂道も通わない絶壁の地形も少なくない。だから、谷間の底地はとても深く、まるで袋の中に入りこんでしまったような感覚をおぼえるのだ。

六本木から一歩裏手へと入ると、このような急峻な谷間が口をあけている。うっかり迷い込むと、いったいどこを歩いているのか迷いそうになる。でも、こういう谷間の、昔ながらの落ち着いた風情がとても心地よく、わたしが子供のころに歩いた“東京”を感じさせてくれる。

 

もともと狸穴町は、大小の大名屋敷や武家屋敷が並ぶ街だった。町屋は、狸穴坂の入口と、坂を下りきった右手の小さな一画にすぎない。切絵図には、「崕雪頽(がけなだれ)」と書かれた水色の断崖が見えるが、この下が狸穴の深い谷間だ。

東麻布側から狸穴坂へ向かうと、そこここに古い建物を見つけることができる。多くの家々が、現代住宅へと建てかえてしまっている中で、昔ながらの家屋がことさら風景に映えているのはどうしたことだろう。

現代住宅の均整がとれ、洗練されているはずのデザインが、地域によってはまったく似つかわしくない。狸穴町も、そういった場所のひとつだ。

 

 

狸穴坂には、こういった戦前の純和風住宅がそのまま残っている。よく手入れが隅々までゆきとどいていて、しっとりとたいへん住みやすそうなお宅だ。その昔、大流行した柾木の生垣が、とても懐かしい。

中から、髪を二〇三高地髷に結って、白い象牙のかんざしをかっしと刺し、矢絣でも着つけた女性が、引き戸を開けていまにも出てきそうだ。

 

崖線は、直角に見あげるように聳え立っている。植木坂から鼠坂へとのぼると、尾根筋はもうすぐそこだ。坂の途中に、小さな木造屋が建っている。用途は不明だが、祭事の道具蔵か消防の設備でも入っているのだろうか。

たいていの坂道は息切れを起こさないのだが、この植木坂から鼠坂を一気にのぼったら、さすがに息がはずんでいた。

 

坂上の尾根筋には、まったくの別世界が拡がっている。どれもこれも、300坪前後のお屋敷ばかりで、同じ狸穴町内かと思わず目を疑ってしまう。

これほど谷間と尾根筋の風情に落差のある街は、東京でも珍しい。大手ITベンダーの経営者に、特に人気がある住宅街のようだ。

 

 

どのお屋敷も、高い石塀をめぐらし、近寄りがたい重厚なたたずまいを見せている。目白文化村のオープンでハイカラな雰囲気の屋敷街とは、対照的な風情だ。

坂道をのぼりきった角に、映画監督と女優の奥様とが、仲よく表札を並べている邸宅があった。親父がファンだった女優のひとりなので、なぜかとても懐かしかった。

■参考文献

『日本橋南之絵図』 尾張屋清七版(再版)1863(文久3)

 

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