Chichiko Papalog 「気になるエトセトラ」オルタネイト・テイク

神楽坂を歩いていると…

神楽坂を歩いていると、おかしな錯覚にとらわれる。東京の古い下町を歩いているのか、ハイカラな山手を歩いているのか、風情のある華町をあるいているのか、せせこましい寺町へ入り込んでしまったのか、はては時代のある商店街を散歩しているのか・・・? よくいえば、いろいろな味わいを楽しめる町、言い換えるとどれがほんとうの素顔なのか、いまひとつつかみかねる素性不明の面白い町・・・ということになる。

商店街を外れて1本中の道へ入ると、これが同じ町の風情か・・・と思うような光景に出会う。下町あたりにありそうな、ひなびた昔ながらの見世構えの寿司屋や小料理屋、代官山あたりにありそうなしゃれたショットバー、目白文化村の石橋邸を模したような西洋館、一見してそれらしい置屋、知る人の少ない隠れ家的な待合、仕事で口実でもつけなければ一生行けそうにもない高級料亭と、辻角ごとに飽きない光景が展開していく。

  

 

左の1965年の写真にも写っているが、子供のころ神楽坂の夕暮れを歩いていると、料亭へ通ってくるお客の出迎えのために、道の両側には和服姿の女将や仲居さんたちが、ズラリと並んでいたのを憶えている。客が帰る深夜には、もっと壮観な眺めが見られたのだろう。いまは、見る影もない。

 

 

ちょっと裏道へ入ると、古い見世構えが目につく。寿司屋に豆腐屋、小料理屋、魚屋、陶芸店、袋物屋、惣菜屋、珈琲屋、表具店・・・。いまだ、三味線屋や櫛笄屋が表店を張れる地域は、東京でも珍しくなった。

 

 

 

芸者新道へ入ると、とたんに色町の匂いがしてくる。柳橋や深川からは、ずいぶん以前に消えてしまった香りだ。上の写真右が、小説家たちがいまでも通って執筆する名物旅館「和可菜」。このすぐ右手に、30階建ての高層マンションができてしまい、地元在住の人に言わせれば「景観が台無しになってしまった」。

下落合の聖母坂に、以前、神楽坂の芸者さんが住んでいた。午後になると小唄か長唄をさらう三味の音が聞こえてきて、「ここはホントに下落合か?」と耳を疑ったことがある。でも、いまの神楽坂では、三味の音はなかなか聞くことができない。

 

白銀町寄りには、昭和初期の西洋館が焼けずにそのまま残っている。この一画には、多くの古い建物が残っていて、表札には「牛込区白銀町」と刻まれたものもめずらしくなかった。でも、いまはほとんどが低層マンションに建てかえられてしまっている。このお屋敷も、あとどれぐらい残っていてくれるのだろうか?

 

 

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