Chichiko Papalog 「気になるエトセトラ」オルタネイト・テイク

 

いまに残る近衛騎兵連隊の兵舎と炊事所

 北門の門衛所で、カードを首からぶら下げてもらって中に入ると、目の前に連隊兵舎と炊事所がある。兵舎のほうはコンクリート柱による補強が見えるが、炊事所のほうはほぼ建築当時のままの状態のようだ。建物に近寄ると、炊事所のレンガのほうが痛みが激しい。兵舎のほうは、4号館校舎として現役で使われているので、メンテナンスが行きとどいているらしい。

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 北門から向かって、建物の左側をぐるりとまわっていくと、南側に正面玄関DEがある。おそらく、近衛騎兵連隊の兵舎だったころも、ここが正面入り口だったのだろう。窓ワクはすべてアルミサッシに取り替えられているが、窓のかたちや位置は当時と変わっていない。

 出かけた時間が夕方に近かったせいもあり、学生の姿はほとんど見えなかった。4号館の校舎全体が、ひっそりと静まり返っていて、お隣りの早稲田大学文学部の賑やかなキャンパスとは対称的な雰囲気だ。門衛さんが「できるだけ短めに」ということだったので、わずか15分ほどの滞在だったが、出会った女学生はわずかに3人だった。

G H

 炊事所GHは校舎に使われてはおらず、大学の事務棟のように見えた。こちらも窓などに修繕のあとが見えるが、4号館(兵舎)よりは全体的にくすんだ感じがするので、より古い状態のままなのだろう。レンガの痛みも、炊事所のほうが目立っている。

 

 左の写真は、4号館の南の中庭に置かれた、往年の学習院女学部(19061918)正門に飾られていた笠石。右は明治〜大正期の写真で、が笠石の位置だ。1918(大正7)より女子学習院と校名を変更し、1947(昭和22)までつづくことになる。

 

 

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