Chichiko Papalog 「気になるエトセトラ」オルタネイト・テイク

「池袋モンパルナス」アルバム

 

@ A

 @は、昭和初期の山手線・池袋駅。Aは、豊島師範学校へと抜けられる道を描いた、春日部たすく・画『豊島師範 池袋駅前通り』。制作は1950(昭和25)だが、戦前の「池袋モンパルナス」の様子を描いたもの。

B C

 BおよびCも、正面に豊島師範の見える同じ道。Bは、春日部たすくが描いた昭和初期イメージのころ、C1943(昭和18)の同所。このあと、2年後にB29の空襲を受けて、池袋駅西口一帯は焼け野原になる。

D

  Dは、下落合の近衛邸敷地から移転した直後、1909(明治42)ごろの豊島師範学校。

E F

 Eは、上空から見た昭和初期と思われる豊島師範学校。大正から昭和初期にかけて、急速に宅地化が進んだ。Fは、同じく昭和初期の池袋西口前通り。

G H

 Gは、空襲の被害からようやく立ち直りつつある、1950(昭和25)の池袋西口前通り。Hは翌年、1951(昭和26)の文化通り。輪タク(自転車タクシー)が並んでいるのがめずらしい。

I J

 Iは、1935(昭和10)ごろの派出所前通り。Jは、1931(昭和6)の立教大学前通り。左手に大学の校舎が見え、道では子供たちが遊んでいる。

K

L

 KLは、開設食後の立教大学と自由学園。(ブログ写真説明参照)

M

 Mは、椎名町駅の北西に位置する、開設まもない長崎アトリエ村(さくらヶ丘パルテノン)。各アトリエの脇に、名前の由来となったサクラの木が植えられているのがわかる。

 

Copyright © October, 2004-2006 ChinchikoPapa. All rights reserved.