Chichiko Papalog 「気になる下落合」オルタネイト・テイク

 

焼け跡の氷川明神社

全焼した氷川明神の地表をよく観察すると、江戸期の切絵図のかたちがそのまま浮かび上がるのに気づく。血洗池あたりの流れ(外濠)の跡は明らかに窪地となっており、氷川社境内全体が盛り土で高くなっている様子がはっきりうかがえる。下の写真2点は、東が上になっている。

さらに、境内の中を仔細に見ると釣鐘型の上部に、外濠に沿ってうっすらと築山らしき円形がかろうじて見える。この円形のかたちを踏襲して、地表にはいくつかの丸く白い筋目が見えている。もしこれが後円部の築山であったなら、その頂はちょうど現在の郵便ポストがあるあたりの真上・・・ということになる。

また、後円部から下へと伸びる前方部らしき痕跡も、地表色の違いによってかすかにうかがえる。現在は、拝殿と本殿は釣鐘型の下部(西側)になっているが、江戸期にはいまとはまったく逆に、本殿は釣鐘型の上部(東側)、すなわち築山の側に位置していた。したがって、正面鳥居の位置もいまとはまったく逆に、西を向いて設置されていた。

■参考文献

『分間江戸大絵図』 須原屋茂兵衛蔵版・安政6(1859)

 

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