Chichiko Papalog 「気になる下落合」オルタネイト・テイク

箱根山界隈のサークル

箱根山あたり一帯は、早くから陸軍が演習場として接収していたため、長期間にわたって原野、すなわち明治期からの「戸山ヶ原」のままになっていた。近隣の学校の“軍事教練”にも、この戸山ヶ原練兵場が利用されている。そして、陸軍施設が集中していたせいで、戦時中はB29の格好の攻撃目標となってしまった。

そのせいで、建物ばかりでなく森の木々までが焼き払われ、戦後の写真を見ると、戸山ヶ原の地表はほとんどが露出している。そして、そこに明らかに自然の造形とは思えない、不可思議なサークルやフォルムをいくつか発見することができる。1947(昭和22)の、米軍機による空中写真で見てみよう。

箱根山は標高約45mと高いので、その盛り上がりをすぐに発見することができる。箱根山の上を、左右(東西)に走る切れ込みのような線は、高さ10m前後のバッケ(崖線)だ。下落合を東西に走る、目白崖線界隈の環境にとてもよく似ている。この崖線からは、無数の湧水が流れ出していた点も同様だ。異なるのは、下落合は南側に神田川が流れているのに対し、戸山では逆に北側に神田川の流れがある点だ。

現在、箱根山を中心に戸山公園や戸山住宅となっている一帯だが、バッケ上にも、また箱根山をはさんでバッケ下にも、地表面のサークル形状を見つけることができる。特に、箱根山の南西には、下落合のバッケ下と同じように直径が100m前後の巨大なサークルが見えている。もともと、陸軍幼年学校の運動場があった場所だが、木々が焼き払われた跡には、その楕円トラックを飲み込むように大きなサークルが出現した。

この写真は、1936(昭和11)ごろの同じ場所を撮影したもの。樹木や建物に覆われて地表面がわかりにくいが、上の戦争直後の写真と見比べてみると、当時の地勢や風景がよくわかる。

 

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