Chichiko Papalog 「気になる下落合」オルタネイト・テイク

 

下落合は巨大なミステリーサークルだらけ Part2

わたしはうかつにも、下落合の密集した住宅街ばかり眺めていて、地面がそのまま露出していることが多いスポーツ施設(グラウンド)の存在をすっかり忘れていた。小学校や中学校の校庭にはとうに気づいていたが、下落合の多くの学校は合成樹脂でできた人工グラウンドとなってしまっていて、すでに地表はすっかり覆われてしまっている。

落合中央公園の地表に気づいたのは偶然だった。下のカラー写真にも写っているが、東京都下水道局ビルの前庭にサークル状の噴水があるのを見て、まるで円墳跡みたいだ・・・と連想したことに始まる。そういえば、テニスコートや野球場もあったことに気づき急いで確認すると、期せずして地面がそのまま露出していた。さっそく、もっとも地表が露わな1994(平成6)の空中写真(カラー)を取り寄せて比較してみた。

下のモノクロ写真は、1947(昭和22)の同区画を拡大したもの。右側(東側)には神田川(旧・神田上水)が流れ、この川沿いにいくつも大きなサークルが見えるのは、以前に書いたとおりだ。右下には、明らかに前方後円墳らしいフォルムも確認できる。この「落合中央公園」内で、明らかにサークル状のかたちをした4箇所に、破線の円を加えたのが、さらにその下の写真だ。

下のカラー写真が、1994(平成6)に同じ場所をとらえたもの。モノクロ写真の中で、4つ確認できるサークルだが、そのうち東側の2つは人工のテニスコートと建屋に隠れてしまって見えにくくなっている。同じように、破線の円で囲んだ写真と対比してみよう。

明らかに正円が重なり、なにかが以前からそこにあった(築かれていた)痕跡であるのがわかる。しかも、それは近世のことではない。江戸期に描かれた切絵図は、このような明らかに人工的と思われる築山があると、必ずこまめに描きこまれていた。新江戸川公園(旧・肥後細川藩下屋敷)の北側にあった、いまでは目白通りの下になっている2つの塚山(おそらく円墳)も、尾張屋清七版の切絵図で確認することができる。

でも、江戸期の下落合村界隈を描いた須原屋茂兵衛蔵版の「分間江戸大絵図」(1859年・安政6)にも、このあたりは田畑となっているだけで、なんら構築物を示す表現は見られない。隣接した戸塚地区の古文書が象徴的なように、江戸前期あるいはもっと早くから、これらの築山は崩されて開墾されていたと思われる。

 

 

 

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