Chichiko Papalog 「気になる目白文化村」オルタネイト・テイク

第三文化村1930

第三文化村にはまだ空き地が見られ、すべての区画に住宅が建てられていない。でも、厳密には第三文化村ではないが、シリーズで紹介した美味しい柿をいただくG邸や、Eのお屋敷はすでに建設されているのがわかる。右手には、竣工したばかりの聖母病院(@)が見え、ワイナリーへと向かう“シベリア鉄道”と呼ばれた長い渡り廊下の屋根がクッキリと光っている。右上には、佐伯祐三のアトリエと母屋が見えているが(BC)、すでにこの写真が撮られる数年前に病没している。

右側下の濃い緑が、本来の地名である「不動谷」だ。(A) 大正期の地図では、第四文化村のあった谷戸へとなぜか移動し、「字不動谷」と字(あざな)がふられてしまうが、この元・擂鉢山(下落合487)あたりから入り込み、聖母病院の西側一帯までつづく谷間が、江戸時代〜明治期を通じて「不動谷」と呼ばれていた。

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