Chichiko Papalog 「気になる目白文化村」オルタネイト・テイク

第二文化村1930

山手通りの工事も始まっていないころの、第二文化村の眺めは新鮮だ。大正が終わったばかりのころなので、第二文化村の周囲には一面田畑が拡がっている。中井駅の北側もまだ空き地が目立ち、「ムウドンの丘」(林芙美子)は形成されていない。中井駅北の南斜面は妙正寺川へと急激に落ち込み、両岸にはいわゆる「バッケが原」が拡がっている。

第二文化村の斜面とは対向する東側の丘上には、旧・ギル邸の敷地が拡がっていて、シリーズで紹介したスペイン風の住宅は、ちょうどこのころ建築されたと思われる。(@) また、工事中の改正道路(山手通り)をはさんで、第二文化村の丘上方向のパノラマ写真も紹介したが、この当時には同所の住宅がまだそれほど多くないのがわかる。(A) 熊倉内科医院の、しゃれた西洋館もまだ見えない。

画家・宮本恒平邸(C)の左下には、佐伯祐三が描き落合第一小学校へと寄贈した「落合風景」のテニスコートが見えている。佐伯の絵では、コートの向こう側に和風の二階家が描かれているが、その南西側に真新しい西洋館が建てられているのが白く見える。また、のちに、石橋湛山邸となる屋敷は、当時から変らず建っていた。(D)

第二文化村を西に外れると、風致地区に指定されてた葛ヶ谷が広がっていたが、随所に雑木林が見える郊外の“ピクニックランド”のような風情が確認できる。

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