Chichiko Papalog 「気になる目白文化村」オルタネイト・テイク

1947年の目白第二文化村

第二文化村も、中心部が大きく焼けている。せっかく焼け残ったのに、1967年の十三間道路(放射7号線)開通のときに壊されてしまった右側の一角がなんとも惜しい。また、工事中の改正道路から、斜めに湾曲しながら入っていく道の左手に、簡易野球場の跡らしい空き地が見えている。

火災は、第二文化村の最奥(北西辺)まで焼いたが、隣接する府営住宅は類焼をまぬがれている家が多いことに気づく。また火災は、おそらく第二文化村でもっとも広大だった、現在は某大手印刷会社の社長宅になっている屋敷を焼いて鎮火し、石橋湛山邸は無キズのまま残った。いまでも、美しい大正時代の建物がそのままで、当時の第二文化村の風情をよくとどめている。

 

Copyright © October, 2004-2005 ChinchikoPapa. All rights reserved.