Chichiko Papalog 「気になる目白文化村」オルタネイト・テイク

1947年の目白第一文化村

空襲の跡もなまなましい第一文化村だ。明治末、目白文化村の周囲を囲むように建てられていた府営住宅の北側が大きく焼けているのがわかる。だから、府営住宅の被害は軽微だった・・・とする記述は明らかに誤りだ。これなら、「第一文化村から目白通りが見わたせた」という、住民の記憶と証言が正しかったことがわかる。

右下の箱根土地本社のあった跡地は、池が埋め立てられて道路工事用の砂利置き場になっているようだ。そのすぐ上に、コンクリート造りで延焼をまぬがれた消防署がうっすらと写っている。戦後1年と少しが経過しているので、焼け跡には小さなバラックらしき建物がところどころに見えている。ライト風の建築で人目を惹いたK邸と、その隣りにあった会津八一邸が、丸ごと焼けてしまっているのが痛々しい。

目白通りに近い、第一文化村北側の商店街を見ると、角の油屋「小野田」がかろうじて焼け残っているのがはっきりわかる。空襲による火災は、店舗の南側2軒先まで迫っていた。

 

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