Chichiko Papalog 「気になる目白文化村」オルタネイト・テイク

ライト風住宅のK邸周辺

K邸あたり

米国の建築家フランク・ロイド・ライト風の住宅で有名だった、第一文化村でもっとも大きなK邸のあったあたり。現在のK邸は、敷地がほぼ4分割されており、それでもひとつひとつ大きめの屋敷が建っている。K邸は、建坪だけで78坪もある木造2階建ての住宅だった。設計および施工は、箱根土地の関連会社によってなされている。

1階は、洋室と和室が半々、2階は和室が主体となった造りで、随所に開き窓が備えられてステンドグラスがはめ込まれていた。銅板葺きのゆるい傾斜の屋根に、落ち着いたペンキ塗りの外壁は、現在の目から見てもあまり古さを感じない。大手住宅会社の、モデルハウスにでもありそうな風情に見える。いまでもそのまま保存されている、大谷石の門柱や階段からライト風住宅デザインの面影がうかがえる。

K邸は第一文化村の中でも、ほぼ販売と同時にもっとも早くから建築された邸宅で、洋式トイレをいちはやく導入したお宅としても有名だ。残念ながらK邸は、戦災で焼失した。

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第一文化村の南に位置するこの道も、突き当たりはカギの字に90度右へ折れている。弁天通へと抜けられなかったため、この近辺の在住者しか入ってこなかったろう。(方向@)

この道を反対側の南へ下ると、野球場やタバコ屋、郵便ポストのある道に出られた。左折すれば、簡易スキー場や第四文化村、そして丘上の落合第一小学校へとつづいている。

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焼けているとはいえ戦後に建てられた邸宅も、メーカーの既成住宅などではなく、オリジナルデザインのものが多いため、この一画全体が落ち着いた雰囲気を保っている。(方向A)

家は戦災で焼けてしまったが、樹木は息を吹き返したためか、当時の街並みの面影が残っているようだ。

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上の写真に文化村にはめずらしく、大正期の電柱が写っている。最後まで買収を終えていなかった一画が近くにあり、地下電源ケーブルの共同講はまだ未設だったようだ。門前のたたずまいに、往時のライト風の特徴が顕著だ。(方向B)

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閑静な散歩コースといったたたずまいを見せている。突き当りがK邸だ。(方向C)

第二文化村の外れに住んでいた小説家の吉屋信子が、犬を連れてよくこの道を散歩しているのを目撃されている。会津八一も、この道を通って早稲田大学へと通っていた。

 

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