Chichiko Papalog 「気になる目白文化村」オルタネイト・テイク

第一文化村の商店街

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第一文化村の北側には、清戸道(目白通り)が近いせいもあってか、いろいろな商店が軒を並べていた。大正期には、いち早く本屋と薬屋が開店し、つづいて油屋、和菓子屋、氷屋、うなぎ屋などが店開きしている。この中で現存しているのは、和菓子屋とうなぎ屋、そして店は閉じてしまったが文化村名物の胡麻油を作りつづけている油屋だ。(この胡麻油は、いまでも手に入る) この油屋の向かい、清戸道を隔てた向こう側が、画家たちが多く参集した「長崎アトリエ村」となる。(わたしが学生時代後半に下宿していた、南長崎の界隈) その縁かどうか、戦後は手塚治虫をはじめ多くの漫画家たちが、下落合や長崎周辺に在住していた。

第一文化村の住民は、外出からの帰りに氷屋や和菓子屋へ寄ったり、うなぎ屋で舌つづみを打ったりしていた。第二文化村の南辺にあった商店街にくらべ、こちらのほうが大通り近くということもあり、かなり賑やかだったようだ。

油屋

目白通りに面した油屋「小野田」の店舗。1945(昭和21)413日の空襲では、この店は運よく焼け残っている。この建物の2軒裏で、かろうじて延焼が止まった。手直しされているものの、大正末か昭和初期の建築だと思われる。この建物は、第一文化村内に建設された、同志会(生活協同組合)の建物に非常に近似している。(方向@)

目白文化村御用達の上質な胡麻油は、天ぷらや揚げ物には欠かせなかったらしく、いまでも人気は衰えていない。第一文化村の店舗こそ閉めてしまったが、目白駅前に近い酒屋「田中屋」で、現在でも「小野田の胡麻油」は手に入れることができる。この油屋の角を南へまがると、目白第一文化村の街並みが目前に拡がった。

和菓子屋

手前の建物が旧和菓子屋、奥が現在は和菓子「千成」だが元氷屋だ。。氷屋は、ずいぶん前から営業していない。空襲で焼けており、どちらも戦後の建物。夏、プールの帰りなどに、ここのかき氷を食べるのが住民の楽しみだったらしく、多くの方たちの印象に残っている。(方向A)

「千成」は健在で、いまでも美味しい和菓子を作りつづけている。文化村の住民が愛した、ここの大福は絶品。

うなぎ屋

 

うなぎ「大和田」の店がまえ。空襲で焼けているので、店舗は戦後の建築。ただし、建物はそれ以来そのままのようだ。急な来客があったりすると、文化村の住民は「大和田」へ“うな重”を注文していた。下町だけかと思ったら、山手でもうなぎはとても人気があったらしい。「ロサンゼルスの縮図」とまで言われた西洋館街へ、うな重をとどける出前持ちの姿を想像すると面白い。

いまでも営業をつづけており、わたし自身は味見をしていないが、かなり美味しいとの評判をそこここで聞く。今度ぜひ、立ち寄ってみたい。(方向B)

 

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