Chichiko Papalog 「気になる目白文化村」オルタネイト・テイク

文化村入口あたり

第一文化村サブメニュー

1922(大正11)ごろに完成した、広大な箱根土地本社の跡地は、いまは3分の2ほどが山手通りの下になっている。泉や池が埋め立てられ、谷間には土盛りがされて平地となり、その面影はいまやまったくない。

オリンピック

クラブハウス

現在は、ディスカウントスーパー「オリンピック」(カラー写真/方角@)の建つあたりが、大きな池へと下る斜面があったところ。モノクロ写真に見える斜面が、あちこちに湧水のあった本社南辺の斜面だ。(方角A) 手前には、池の南端がほんの少し写っている。奥の建物は、箱根土地の社屋ではなく、第一文化村に建てられたクラブハウスだ。

箱根土地本社は、赤いレンガ造りで23階建てのしゃれた建物だった。改正道路(山手通り)の建設計画とともに、すぐに壊されてしまった本社屋だが、1925(大正14)に描かれた、松下春雄の『下落合文化村入口』と題された油絵に、建物の一部がかいま見られる。

文化村入口

 右手の建物が、箱根土地本社だ。上のモノクロ写真に見える南辺と同質な斜面の一部(西辺)と、そこから湧き出ている泉水の流れが描かれている。左に見える道が、現在のオリンピックや消防署の裏道。看板のあるところが、左折すると目白文化村北辺道で、遠くには府営住宅の屋根が見えている。(方角B)

入口

左の写真が、絵とほぼ同位置から見た現在の文化村入口。(方角C) 左側の塀のあるところに、大きなクラブハウスが建っていた。突き当りの道が、上の絵の看板のあるところ。正面の茶色いマンションが、絵では雑木林と屋根だけが見えている府営住宅跡だ。山手通りの貫通とともに、このあたりの当時の面影は消えてしまった。

 

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